熱帯多雨林になぜ多くの種類の生物が共存するのか?この単純な問い掛けにもまだ皆が納得できる説明はありません。地球の表面積のわずか3%にしか過ぎないこの小領域に、全生物種の半数以上が犇めき合っている現実があります。年間を通して高温多湿な気象がそうさせるのでしょうが、そのメカズムは明らかになっていません。この問題は現在でも熱帯生態学のメインテーマの一つです。
今から6年前、日本熱帯生態学会公開シンポジューム(2009年6月21日。大阪)に招待され、講演をしたことがあります。その会場で、シンポジュームの会長であった畏友山倉拓夫博士(当時大阪市立大学理学部教授)と上記の問題に関して、集団遺伝学の観点から議論をしました。議論の骨子をご紹介したいと思います。
ダーウィン進化論で熱帯における種の多様性をうまく説明できるのだろうか?と言うのが議論の出発点でした。ランダムな変異・遺伝的浮動・自然選択(生存競争)・生殖隔離がダーウィン学派の推す進化の主要因です。熱帯降雨林は生物にとって極めて好都合な条件なので、所謂適応度地形は多彩で凸凹に富んでいて(一つの凸が一つの種に対応する)、多くの種が共存できる条件がそろっていると解釈できます。一方で、まったく逆の結論も導き出せます。ダーウィン進化説のセントラル・ドグマ(中心教義)は、進化を駆動するのは自然選択圧であるとしている点です。そうであるならば、自然選択圧や生存競争に強い種だけが残って、熱帯多雨林は数少ない勝者に依って占められていてもいいのではないかと言う推論も成り立ちます。このように力点の置き方によって違った結論を導き出すことができます。このことは、ダーウィンの進化説も未完成であることを示しています。そこで私たちは原点に立ち戻ることにしました。
山倉博士の論旨を以下に示します。中立説によれば、中立的な変異はその定義上あらゆる選択圧から影響を受けないはずです。従って、どの種も生き延びることができると考えられます。博士の言葉をお借りすれば、「何でもありの世界」なのです。高温多湿で年間を通してあまり気候が変わらない熱帯多雨林は生物にとって恵まれた環境なので、あらゆる動植物がそれこそ勝手きままに繁栄することができます。結果として、生物の多様性は極めて大きくなります。真に単純明快なシナリオで、私はこの文脈は少なくとも原理的には正しいと今でも思っています。
一方、全く違った立場から、高温多雨林における生物多様性を説明することができます。私たちが主張する不均衡進化理論です。第29回コラムに示している右側の図(不均衡変異モデル)をご覧下さい。その時の説明では、元本の保証と多様性の創出の面を強調しました。即ち、仮に変異率が異常に上昇しても、元本が保証されているので集団の消滅が避けられ、かえって進化を加速するという特徴があります。ここでもう一歩踏み込んで考えてみましょう。実はこのモデルは“不敗の戦略”でもあるのです。つまり、変異率が高くても、親の遺伝子型は基本的に子供にそのまま伝わるので、熱帯多雨林のように環境が安定したところでは種の消滅の危険性はとても低いと考えられます。もし、大量の大木の倒壊のような突発事故で森林の環境が急変しても、集団の中に予め準備されている変異型が新しい野生株として取って代わればいい訳です。このように、不均衡変異モデルはちょっとやそっとでは競争に負けない特性を持っています(ご興味のある方は、シミュレーション実験をご覧ください;Wada, K., et al. Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 90, 11934-11938 (1993))。もし、熱帯多雨林を構成するすべての動植物がお互いに“決して負けない”戦略を持っているとしたら、すべての種が生き残れることになります。当然の結果として、多様性に富んだ生物相を形成することになります。
両説の優劣を比喩的に表現すれば、何でもありの無手勝流(中立説)と優れた軍師に統帥された軍団(不均衡進化説)のどちらに軍配が上がるのかと言う大変興味深い問題となります。勿論、この争いの決着はついていません。このように、全く異なった原理や理論が、同じ一つの現象を説明し得る例は科学の世界では決して珍しいことではありません。このような状況が起こるのは、学問が未成熟の段階にあることを示しています。意見の対立は議論を深め真実を知るには絶好のチャンスです。どちらが正しいか決着を付けるのも大切ですが、議論を通して、今まで全く気付かなかった新しい原理の発見や新理論の誕生につながる可能性もあります。後者の方が科学の発展にとってはより望ましい姿でしょう。読者の皆様は“中立派”、それとも“不均衡派”のどちらに組みされますか? それとも、別の解決策をお持ちでしょうか?
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