「競技場内研究者」は畏友洪実博士(慶応大・システム医学・教授。以下、洪さん)の造語です。洪さんとは25年来の付き合いです。最近、米国NIH・国立老化研究所 (NIA)を辞して母校の大学にもどられましたので、直接お会いする機会が増えて喜んでいます。つい先日も、八木健博士(大阪大・生命機能研究科・教授)をご紹介かたがた東京の信濃町で一献を傾けました。その席でたまたま「競技場内研究者」のことが話題になりました。
洪さんによりますと、研究者は大きく二つに分けることができるそうです。その一つは、学問の大きな流れに沿った研究をするタイプで、これを「競技場内研究者」と名付けます。このカテゴリーに属する研究者は、研究テーマそのものに関する不安は全くなく、世界の研究の進捗状況も学会や論文を通して知ることができます。成果は研究者仲間に容易に理解され、成功すれば相当の評価を容易に受けることができます。この事情はオリンピックを想像していただければご理解いただけるでしょう。ウサイン・ボルト選手はおそらくエントリーする種目の選択には何の惑いもないはずですし、彼が100メートル競走で9秒台を出して金メタルを獲得する確率は極めて高いでしょう。
もう一つのタイプは、独自の世界の中で孤独に奮闘する研究者です。この種の人たちを「荒野の研究者」と呼ぶそうです。私は紛れもなく後者に分類されることで三人の意見が一致しました。私自身常々そう思っていましたので特に異論は挟みませんでした。とぼとぼと荒野を一人でさまよい、やっとのこと研究成果が得られても誰にも理解されることはなく、他人の評価も気にせず、ただ黙々と研究を続けていくというのが「荒野の研究者」のイメージだそうです。洪さんの解説が終わったところで、私が「いやそんなことないですよ、私も少しは賛同者が欲しいし、メダルも欲しいですよ」と即答したので、一同大笑いとなりました。 それにしても、どうして「荒野の研究者」になってしまったのでしょう。思い返しますと、幼少の頃からグループに属することを余り好みませんでした。映画も西部劇や時代劇の"一匹狼もの"が好きでした。長じても、学会運営に関わることに抵抗感があったり、野球よりもむしろ空手やヨットが性に合っていたのも生来の性格によるのものだと思います。学園紛争のときも、ノンセクト・ラジカル派(派閥に属さない過激派)に妙にアフィニティーを感じていました。そう言えば、理学部の事務の方々に"インテリ・ヤクザ(一匹狼)"という渾名をつけられていたと最近になって知りました。断っておきますが、私は人も、人と話すことも大好きです。一匹狼を自任している割には結構さみしがり屋です。
上記の酒席での結論は、"一刀両断(袈裟斬り)を得意技とする荒野の素浪人"ということで落ち着きました。裏を返しますと、努力少なくして物の本質を知りたがる研究者、ということになりますでしょうか。
第7回コラムにも書きましたように、学部学生の頃から進化の加速をライフワークにしようと心に決めていました。当時は進化の加速などと言う大それたことを考える研究者はいませんでしたから、最初から「荒野の研究者」になるべく運命づけられていたようなものです。残念ながら、大学時代には、学生のために論文になり易いテーマを選択せざるを得ませんでした。競技に例えれば、競技場からときどき聞こえてくる歓声を気にしながら、悶々としてまわりの空き地を走っているランナーのようなものだったでしょう。この状況が20年間も続き、知らず知らずのうちに大きなストレスとなって私に圧し掛かかってきました。当時は十二指腸潰瘍と飲みすぎで下血を繰り返していました。
縁あって、50歳にして第一製薬(現第一三共)に転職してから健康は瞬く間に回復し、水を得た魚のように進化の原理を求めて荒野へと一人旅立つことができました。企業への中途就職は、サイエンスを続けることは到底不可能だと言う理由で、まわりの方々から強く反対されました。勿論、私自身もこの点は大いに心配でした。しかし幸運にも、新技術事業団・ERATO「古澤発生遺伝子プロジェクト」の発足と会社の理解もあって、問題は氷解しました。それまで思考停止状態に陥っていた進化の問題意識が再び沸々と湧いてきました。その後の展開の経緯は、第8回コラムに書きましたのでご参照ください。
「荒野の研究者」であることのメリットは、毎朝NatureやScience誌に目を通し、学問の進み具合を神経質にチェックする必要がないこと。それと、論文や本を書くときに引用文献の数が少なくて済むことぐらいでしょう。反対に最大のデメリットは、自分の研究テーマ・研究成果・パラダイムなどについて、表現し難い不安が繰り返し襲ってくることです。やがて研究者として自己採点をする時がやってくるでしょうが、その時が待ち遠しくもあり、そら恐ろしくもあります。後になって、小さくてもいいですから新しい競技場ができることにでもなればそれほどの喜びはないでしょう。 |