前回のコラムでは、『元本保証の多様性創出の法則』とも呼ぶべき基本的なルールが生物界の底に流れているのではないか、ということを細胞分裂、及び個体発生と進化を例にして説明しました。今回はもう少し違った切り口から議論を進め、私なりの生命観を描いて見たいと思います。
【生物界の特徴は不連続性】
昆虫や鳥や哺乳類の種類の違いは素人目でもすぐ分かります。また、動物を解剖したとき、臓器(肝臓や腎臓)の違いも簡単に見分けがつきます。この生物の外見上の特徴について、一番納得できる説明は“創造説”です。それぞれの生物は細部に至るまで神が手作りされた芸術品ですから、美しく、ユニークであるのは当然のことです。
しかし現在では、最初はバクテリアのような簡単な生物であったものが、何億年もかけていろいろな生物に変化してきたことは誰でも知っています。では、種間の外見上の明瞭な違い(不連続性)はどうして出来てきたのでしょう? いつも見慣れているので当たり前のように思っていますが、考えてみるととても不思議なことです。ダーウィンが言うように、わずかばかりの変異の連綿たる蓄積と自然選択圧による選別が進化の原因だとしますと、種と種の間がはっきりしない、だらだらとメリハリのつかない生物界になっていそうなものですが。
【生物は自ら積極的に進化する】
これは10年前、私が主催しました国際シンポジュームの宣伝用ポスターで使ったキャッチフレーズです。(第4回JRDC国際シンポジューム「進化の実験的アプローチ」1996年3月6〜7日,東京)ダーウィン進化の特徴は、生物側からしますと、進化は完全に受身で自然の成り行きまかせ、という点だと思います。進化の一方の原因である突然変異はランダムに起こると仮定していますから、変異率が高すぎると死滅してしまいます(第5回コラム,図2)。逆に変異率が低いと、確かに野生型が常に保存されますので、死滅することは避けられます。しかし、昔から問われているように、わずかな表現型の変化が自然選択の対象となり得るのでしょうか?よしんば、この方式で進化したとしても、進化は限りなくゆっくりと進むことになります。そうしますと、カンブリア爆発や、恐竜の急な進化はどうして起こったのでしょう?化石の歴史が示す過去に幾度か起こった進化の急激な加速の説明が困難になります(グールドとエルドリッジ:進化の断続平衡説)。進化の爆発的スピードアップの原因の一つとして、その前後で溜め込まれていた多くの突然変異が一気に表現型として具現化されたと考えるのは理にかなっていますし、その期間には突然変異率も有意に上昇しているだろうことも想像に難くありません。もしこの想像が正しいとしますと、生物側に進化を加速する機構を求める必要が出てきます。
【保守と革新の凌ぎ合い】
生物が変異を溜め込み、溜め込んだ変異を一気に吐き出すには、どのようなメカニズムが考えられるのでしょう?前回のコラムでお話した華道の話に、もう一度戻ります。以下、華道家元を種(しゅ)と置き換えてお読みください。保守的な家元のお弟子さんの中には、オリジナリティを発揮して、何か革新的なことをしてやろうという人物は必ず居ます。放っておくと、みんなが自分勝手にやりたいことをして収拾がつかなくなります。その理由は、誰でも決まりきったことを繰り返すのを好まないからです。家元は保身のために自由を強く束縛します。逆にそうしないと華道そのものが成り立ちません。家元のこの態度に革新派のフラストレーションは溜まる一方で、益々革命的アイデアを練り、同志を集めることにエネルギーを割きます。ある臨界点を超えますと爆発し、破門
、そして新流派の誕生となります。ここで重要なことは、家元の抵抗が強ければ強いほど、よりモダンな華道が生まれるところです。展覧会場での両家元(今や、分岐した流派は新家元です)の生け花の“表現型”は一見して区別できるはずです。このように、不連続性創出の裏には、頑固な保守性の存在が必須なのです。
つまり、くっきりと目立つ種は、安定を保とうとする機構と変わろうとする機構のカップリング(紙の表裏のように、切っても切れない関係)によって初めて創出されるものです。今から約15年前、私はこのカップリング機構の本質を、DNAの分子構造とその複製機構に見出だしました(Furusawa
& Doi, 1992;古澤・青木, 2004)。詳細は別の機会に譲りたいと思います。
さて、保守と革新のカップリングは生物の営みの中でいろいろな場面で見られます。例えば、ヒトのような2倍体生物の対立遺伝子の場合、優性の野生型遺伝子ががんばり続けている限り、劣性遺伝子の方は自由に突然変異を入れて冒険することができます。そうこうしているうちに、野生型のそれよりも優れた遺伝子に進化できるかも知れません。また、大野乾氏が提唱した遺伝子重複説は次のように進化を説明しています。一つの細胞内で同じ遺伝子が複数個重複して存在しますと、その中の少なくとも一つが正常に働いている間は、余剰の遺伝子たちは自由に突然変異を入れることが可能となります。そのうちラッキーですと、野生型より優れた遺伝子に進化したり、まったく別の機能を持った遺伝子に化けることもできます。これも立派な保守と革新のカップリングの例です。どちらの例も、“家元”の野生型遺伝子がしっかりしていればいるほど、より革新的な遺伝子が生まれる可能性が高くなるはずです。
哺乳類ではまた違った見方ができます。例えばヒトの男性では、年齢によって違いますが、受精卵から個体発生を経てその個体における精子が完成されるまでに平均300回ぐらいの細胞分裂が必要だとされています。一方、卵子はその1/10ぐらいの分裂回数で成熟するとされています。分裂回数と変異の入る数が単純に比例するとしますと、男性の体を通過した生殖細胞のゲノムは女性の体を通過したものより10倍も変異が多く入ることとなります。即ち、宮田隆氏の「進化はオスで決まる」と言う表現は当たっているようです。(『分子進化学への招待』宮田隆,ブルーバックス・講談社,2004)。これも保守と革新のカップリングと捉えることができます。不均衡進化理論の立場からの更なる考察が待たれるところです。(大阪大学・内村有邦氏談)
結局、種が不連続でそれぞれユニークな存在である原因は、生物界の共通のルールであると私が予想した『元本保証の多様性創出の法則』(第5回コラム)に帰することができるでしょう。元本が保証されている限り、少々のギャンブルは許されるはずです。元金が保証されていれば、心置きなく穴馬券を買うことが出来るのと似ています。万が一ギャンブルが成功した暁には、元の親とは顕著に違う表現型を持つ子供が生まれてくるでしょう。このようにして種は不連続なものとなり、多様性を増していくのでしょう。
【個体発生は“プログラム化された”元本保証の多様性創出】
個体発生の場合には、少し違った説明が必要でしょう。受精卵が自己複製をしながら頭や胴や手足などを作っていく過程は進化に似ていますが、何せ、短い期間に正確に赤ちゃんを完成させなければなりませんので、突然変異を入れて悠長に自然選択を待つわけにはいきません。即ち、同じ「元本保証の多様性創出」でも“プログラム化された”ものであることが必要です。
高等動物では、ごく大まかに言って、各臓器に特化された幹細胞が用意されていて、それらの幹細胞の“不等分裂”(幹細胞が分裂するとき、自分自身を再生産しながら同時に分化した細胞を作る)を経て、分化した臓器細胞を作り出すシステムを採っています。この方式は成体になっても変わりません。当然の成り行きとして、体の構成がパッチワーク(つぎはぎ細工)状になり、各臓器は形態的にも機能面でもくっきりと他の臓器と区別できる存在になっています。各臓器に分かれずに、多機能を兼ね備えた万能臓器をもつ戦略を採るよりも、恐らく際立ってエネルギー効率が良く進化に好都合だったのでしょう。
動物に比べますと、植物はどちらかというと各器官の区別がルーズな印象があります。それどころか、基本的には成体のどの一つの細胞からでも完全な植物体を作ることができます。すべての細胞が受精卵的幹細胞という訳です。オス・メスなしに子孫を残せるわけですから、自ら移動できない植物にとってこれほど有利な戦略はないでしょう。いずれにしましても、動植物ともに個体発生の過程は、プログラム化されているとは言え、『元本保証の多様性創出の法則』に従っているように見えます。
【生物が抱える矛盾】
進化は不可思議な現象です。遠い昔、一種類のバクテリア様生物から出発したにもかかわらず、現在では、いつまでも変わらない“生ける化石”(バクテリアやシャミセンガイ、シーラカンス等)が居るかと思えば、昆虫やヒトのように大いに変化したものも居ます。このことを一つの個体(例えば大腸菌)レベルで見ますと、生物とは、“変わらない”と
“変わる”という本質的に矛盾する2つのポテンシャル(潜在能力)が同居する奇妙な物体であると言えます。この正反対のポテンシャルを1個体で同時に具現化する(例えば表現型として現す)のは論理的に無理と言うものです。解決方法は集団で対応する以外にありません。生物が考え出したうまい方法は、自己複製するとき、この相反するポテンシャル(矛盾)を開放し、表現型として“変わらない”(野生型)と“変わった”(変異型)という2種類の子供を同時に生み出す方法を編み出したのです。勿論、自己複製で、親と同じ“変わらない”子供を2匹作ってもかまいませんし、(等価分裂)、2匹とも“変わった”子供を作ってもかまいません。しかし、後者の2つの方法を続けていくと先に説明しましたように、環境の変化に耐えられなくなる場合が出てきます。言うまでもありませんが、自己複製の結果生まれた2匹の子供は、どの分裂方式を採ったとしても、親と同じように、“変わらない”と“変わる”という2つの相矛盾するポテンシャルが内在されていなくてはなりません。
激しく変わる厳しい環境の下で種が存続するためには、突然変異率をできるだけ上げ、なるべく“不等分裂”の回数を増やし、元本を保証しつつ子孫を作り続ける必要があります。走り続けていないと死んでしまう「赤の女王」の物語の世界です。このような状況では、種の多様性と不連続性が増加することが予測されます。実際には、カンブリア紀の地層に見られるように、形態学的にはっきりと区別がつくいろいろな種類の動物化石が見つかることになります。
『元本保証の多様性創出の法則』が生物界の底に流れているとしますと、DNAから社会に至るまで、生命現象のあらゆる場面で“保守”と“革新”の間の葛藤が起こっているはずです。物質の運動方程式を解くのが物理学であるのに対して、「生物学は物質の社会学である」と表現された山田雄三氏(元
第一製薬取締役)の言葉に深い意味を感じています。
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