1958年にF・クリックが提唱した「DNA→RNA→タンパク質→形質」という情報の流れは、分子生物学のセントラルドグマ=中心教義として今や生命科学者のイコン(聖像)となっています。しかし本コラムでは、細胞には上記セントラルドグマを超越した分子機構が存在し、多面的に生命活動をコントロールしているという新しいパラダイムについてお話しします。
そのキーワードは、「DNAの2本鎖の識別機構と複製とのカップリング」です。基本に立ち返って考えてみますと、DNAの鎖はA:TとG:Cが対をなしているので、それぞれの鎖はもともと違った物質とみなすことができます。また、ある特定のDNA領域が複製するとき、一方は連続鎖で他方は不連続鎖で複製されます。したがって、これらを識別する分子機構があっても不思議ではありません。
DNAの2本鎖が異なることの生物学的意義を最初に指摘したのは、"さすらいの研究者"の異名をもつJ・ケアンズでした(1975年)。彼はヒトを含めて哺乳類には小腸のがんが少ないことに疑問をもちました。たとえばマウスでは、小腸上皮をつくり出す幹細胞は一生のうち1,000回も分裂するので発がんの可能性が極めて高いはずです。ところが実際には、小腸の幹細胞はめったにがん化しません。ケアンズはその理由として、幹細胞が不等分裂して幹細胞と上皮細胞に分かれるとき、すべての染色体において、無傷の最も古いDNA鎖が鋳型としていつも幹細胞側に保持されると仮定しました。もしそうなら、幹細胞ではDNA複製ミスによる変異(がん化の要因)が抑えられます。一方、上皮細胞の系列では、分裂のたびに "傷ついた" 新生鎖を鋳型としてDNAが複製されるので変異が蓄積されやすくなります。しかし、上皮細胞は計11回の分裂ののちに腸管内に捨てられる運命にあるので、たとえがん化したとしても問題はないという理屈です。この卓抜なアイデア(不死化鎖モデル)は血液細胞や皮膚などでは正しいとされていますが、最古("oldest")DNA鎖の認識機構を含めてメカニズムの詳細は不明です。
A・クラーは全く別の観点から同じ問題意識に到達しました。原核生物である細菌では、いわゆるヤコブ=モノー・システムにより、水溶性の分子であるインデューサーやレプレッサーなどがDNAにくっついたり離れたりして遺伝子発現を制御しています。一方、細菌とは比較にならないほど複雑な構造をもつ真核生物(酵母からヒトまで)では、世代交代や個体発生の過程で多種類の細胞が正確な場所に適切なタイミングでつくられる必要があります。そのためには、遺伝子発現の制御はもっと構造的 (機械的)に厳密に担保されているはずだと考えたのです。彼が行き着いた答えは、体づくりの基本である細胞の不等分裂の要因は、DNAの2本鎖構造の認識にある、というものでした。
細胞分裂のS期で2つの姉妹染色体DNAが合成されます。そして、一方の娘DNAの片方の鎖が他の娘DNAのそれと構造的に違いがあることが認識され、次いで特定の姉妹染色体が一方の娘細胞に選択的に分配されると考えたのです。その結果、性質が違った2つの娘細胞が一定の位置関係を保って生ずることになります。この理論の上に立って、動物の左右軸の形成原理を説明しました(SSISモデル、1994年)。のちになって、彼は分裂酵母の胞子の性転換がこのモデルに従うことを見事に遺伝学的に証明しました。現在彼は、動物の体軸や脳などの臓器の左右非対称性構造の形成に理論を展開させ、SSISモデルの遺伝的破綻が内蔵逆位(たとえば、心臓が右側にある異常)を生じたり、ある種の精神病や散発性乳がんの原因になっていると主張しています。
さて、上に述べた新パラダイムの下では、われわれの不均衡進化論(不均衡変異モデル、1992年)の位置づけはどうなるのでしょう?今の段階では、「DNAは、連続鎖と不連続鎖の構造の違いから生ずる変異率の差を利用して、最適化問題を解きながら適応進化する生きた遺伝アルゴリズムである」、と表現できると思います(古澤コラム第1〜3、5〜8回を参照)。
以上、私を含めた3名の研究者は、それぞれ別々の研究室で独立に発想したにもかかわらず、期せずして"DNAの2本鎖構造の生物学的意義"という同じ命題にたどり着きました。この3名が共有する新パラダイムは、セントラルドグマを含む分子生物学における既存のパラダイムの含意を十分越えていると言えるでしょう(Furusawa, M. Open Journal of Genetics, 1, 78-87, 2011)。ここに紹介した3つのモデルはどれもまだまだ発展途上にあり、実験的検証が試みられています。 |