一つ年上の兄は画家です。年が近いので子供の頃はよく兄弟喧嘩をしました。そのことが遠因で兄が選んだ芸術の道は知らず知らずのうちに避けるようになりました。絵を描くこと以外に進化にも興味をもっていた私は、当然のように生物学の道を選ぶことになりました。
今年81歳になった兄が、ここ12年間の創作を一挙に展示した「古澤潤展2000−2012」(2012年4月26日〜5月1日。詳しくはこちらを参照)を地元の横須賀市文化会館で開催しました。3部からなる大きな個展でした。シリーズ『伐られた木』は「木は自分の破滅をもって木を伐るものに復讐する」というレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を踏まえた作品集です。そのうちの大半は、白化した幹や枝が無重力状態で集合している様子が描かれています。以前の兄の作品を知る私には全く異質な画風で、描写技術と相まって非常に心に残るシリーズでした。
シリーズ『死者の譜』はとても同じ画家の作品とは思えないものです。つれあいと、嫁いで間もない長女を続いて亡くした兄は肉親の死という現実の悲しさと虚しさを身をもって感じていたのでしょう。イラク戦争で毎日増えていく市民の死者の数の報道を見て(『Iraq Body Count』)、人の死を単に数だけで表現するメディアの在り方に不条理を覚えたと聞いています。一体ずつ克明に、それも一人一人異なった形で大キャンパスいっぱいに死者の数だけ並べたのです。意表を突かれたのはもちろんのこと、美術としても今までに経験したことない迫力と感動を受けました。渾身の作と言えます。このシリーズは欧州でも高く評価され、英国でも企画展を開いたそうです。現在は、足が不自由なので車椅子に座ったままで、3月11日の東日本大震災以降を描いたシリーズ『黒い水』の創作を続けています。一連の作品を描かれた順に観て行きますと、明らかに2度のパラダイムシフトを起こしています。パラダイムシフト(Paradigm shift)のもとの意味は「規範」(パラダイム)が変わることです。今日では拡大解釈され、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、価値観などが革命的に変わることを言います。したがって、この言葉を芸術と科学の世界に当てはめれば、芸術家と科学者に共通する最大の目標はパラダイムシフトを自分の手で起こすことにあると言えるでしょう。
科学の世界では自分の考えを論文に公表します。投稿した原稿は複数の覆面同業者による厳密な審査をパスして初めて論文として学術誌に掲載されます。つまり、自分の仕事が公平に評価されるシステムの上に科学は成り立っています。もちろん人間のやることですから、間違いや恣意的な部分が入り込む余地はゼロではありません。また、パラダイムシフトの幅が大きすぎると、コペルニクスの「地動説」の例ように、ひとつ間違えば地上から抹殺されることにもなりかねません。とはいえ、論文は今日でも科学の成果の最重要証拠であり続けているかりでなく、権威づけられた印刷物として自分の考えや成果が世に出回るということを通して、科学者に心の安寧を与える効果があります。
一方、芸術の場合は少し事情が違うようです。伝統ある展覧会の場合には審査会をパスしないと展示できません。さらに、審査が保守的になり、審査基準があいまいにならざるを得ないのは美術という性質上避けることはできないでしょう。審査会や大衆に受けるかどうかも美術的価値の一つの判断基準ですが、彼らに迎合した作品を造り続けていると作品はマンネリ化する危険性が生じるでしょう。芸術家の辛いところは、真に独創的作品は同時代の人々には理解されないのが常です。何故なら、マジョリティ(大衆)に理解されるといことはブレイクスル−を起こしていないことの証しだからです。
今回の個展を観て再確認したことがあります。それは、芸術も科学も、脳や心の中で感じたものを表現するという創造的プロセスを基本的に共有していることです。幸運にもパラダイムシフトを起こした芸術家は、おそらく自分が創り出した新しいパラダイム(規範)によって自分自身が拘束され、そこから脱却しようとしてもがき苦しむことの繰り返しになるのでしょう。科学もよく似たところがありますが、科学には芸術の世界には存在しない"安全毛布"=論文があります。私には"安全毛布"のない人生なんてとても耐えられそうもありません。どうやら私の選んだ道は正しかったようです。
なお、このコラムは、展覧会場で催されたパーティの席で、司会者から突然指名されて行った私の挨拶を文章にしたものです。 |