古澤 満コラム私は子供のころからラマルクの“獲得形質の遺伝”に興味を持ち、進化を目の前で見ることが夢であった 古澤 満 古澤 満
 

進化の研究は科学ではなく哲学や思想に近いのではいかとよく尋ねられます。そこで今回は、自然科学における進化研究の位置づけについて私見を述べたいと思います。

独立法人化以前の大学の理学部では、自然科学は数学(Mathematics)、物理学(Physics)、化学(Chemistry)、生物学(Biology)、地学(Geography)の5学科に分かれていました。こうして見ますと、生物学だけが英単語の語尾に学問を表す"−ology(オロジ−)"が付いていることに気付きます。その生物学にしても、私が旧制中学のころの時間割には「博物学」(Natural History)と記されていました。

生命科学(生物学)に限っても、歴史の古い分野にはオロジ−という語尾は付いていません。分類学(Taxonomy=Systematics)、遺伝学(Genetics)、解剖学(Anatomy)といった具合です。古い歴史を持つ学問分野に共通する点は、体系がしっかり確立されていて、それを学ぶには基礎から始めて、発展の歴史を追って順に勉強して行かないと理解することは非常に困難です。数学や物理の授業を想い出していただければこの辺の事情はお分かりいただけると思います。生物学の基本である分類学も、先人の業績を踏まえた上でないと一人前の研究者になることはほとんど不可能でしょう。特に形態分類学の分野では職人的トレーニングや、時には芸術的感覚さえ要求されます。

ここで"分類"について考えてみましょう。分類学なんて古臭いと思われがちですが、すべての自然科学は「分類に始まり分類に終わる」という一面を持っています。"神の粒子ヒッグス"の発見の歴史がよい例です。最初は物質の分類から始まり、その構成要素である分子の分類を経て、分子を構成する最小単位である素粒子の一つである"ヒッグス粒子"へと至っています。このように、現代物理学の「標準理論」の完成の過程は分類が如何に重要な作業であるかをよく物語っています。

他の自然科学と同じように生命科学も細分化されていて、ほとんど例外なくそれらの英語名には"オロジー"がついていて、広い意味での造語であることが分かります。つまり、"オロジ−"付きの学問は比較的歴史が浅く発展途上にあることを示しています。例えば、わずか60年たらずの歴史しかない分子生物学(Molecular Biology)においては、少しの基礎知識さえあればどのようなテーマにも途中参加できます。これが新しい学問の特徴です。動物の発生を実際に観察したことのない新参の大学院生でも、運が良ければ、市販のキットを使って発生生物学(Developmental Biology)上の大発見をすることだってあり得ないことではありません。

さて、西洋の自然科学の進め方には一つの定式があります。作業仮説→仮説の検証実験→結果の検証→仮説の修正→、というサイクルを繰り返すことにより、着実に真実に近づこうとするやり方です。上記の"ヒッグス粒子"の発見も基本的には同じ方法論を使って進められてきました。生命科学の研究も例外ではありません。

では、進化の研究はどうなのでしょう。進化論は生物の分類を基礎としていますが、一見してお分かりのように、このサイクルを回すための一番の難所は「仮説の実験的検証」のステップでしょう。今存在している生物種をいくら眺めていても別の生物種に変わることはありません。進化研究の一番の魅力は、例えば爬虫類から鳥類やほ乳類が生まれてきた劇的な変化の原因の解明にあります。しかし、これらは遠い過去の出来事ですから実験的検証は無理です。これが進化は生物学の"聖域"であると言われた所以であり、冒頭にのべた質問が出るのも仕方ないことです。

一見不可能と思われるこの障壁を乗り越えるために、われわれは「不均衡進化理論」を提唱しました(1992年)。この理論の一つの帰結は、あらゆる生物の進化を加速することによって、進化の過程を観察することを少なくとも理論的に可能にしたことです。弊社(ネオ・モルガン研究所)の業務の柱の一つは、この技術を利用して進化を加速し品種改良(育種)をすることです。
この業務の成果そのものが不均衡進化理論をサポートする証拠となり、結果として理論の検証とその修正に資することになります。つまり、不均衡進化理論は上述した実験科学のサイクルを稼働させることによって、進化研究を"論"から実験科学のレベルに引き上げることを可能にしたと考えています。

進化を実際に見ることができる唯一の方法は、世代の短いバクテリアを長期間培養することでした(弟15回コラムを参照)。しかしごく最近、単細胞の酵母が試験管内で多細胞生物に"進化"することを友人のトラヴィザノ博士(M. Travisano)からの連絡で知りました(こちらを参照)。彼とは何度もメールをやり取りしてその結論の正しいことを納得いたしました。いよいよ"実験進化学の幕開け"の実感が湧いてきました。

2012年7月 19日
古澤 満
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