古澤 満コラム私は子供のころからラマルクの“獲得形質の遺伝”に興味を持ち、進化を目の前で見ることが夢であった 古澤 満 古澤 満
 

子供のころ、夢が沢山ありました。1)生物学者、2)プロ野球選手、3)船長、4)喧嘩に強くなる、の4つでした。結局は研究者になり、クルーザーの"船長"にもなれましたので何とか初期の目的は達しました。また、空手をマスターして最後の項目もクリアーできました(第12、13回コラム)。当然、野球選手は諦めることとなります。

ところが、実社会に出てから私の人生プランに齟齬をきたし始めました。先ずは会社員になるなど夢にも思っていませんでしたが、成り行き上、大学から製薬会社に転職することとなりました。更にこともあろうに、新会社(弊社)の創立に関係する羽目に陥ってしまいました(第14回コラム)。ところが会社のマネージメント業は真に性に合わず、2〜3年で精神的バランスを欠いてしまって、経営陣から身を引くことになってしまいました。

研究においては、進化の加速の実現が目的であるのは終始変わらないのですが、研究内容や手段がなぜか不得手な方向へ(やりたくない方へ)と進んでいきました。その心境を喩えてみますと、スキーを始めたころ、右前方にある危険物を避けようとして左に体重をかけると、意に反してスキーは右に回転してますます危険物に近づくのとよく似ています。研究分野に関しても、もっとも好きでなかった遺伝学、なかでも集団遺伝学や確率統計学の勉強を強いられています(第25回コラム)。つい先日も、九大・医で開催された日本遺伝学会主催の国際シンポジューム(Germline Mutagenesis and Biodiversification;3月21−22日)で発表し、異文化を満喫してきました。

極め付けはエンゲルスの自然弁証法でしょう。終戦後しばらくは、マルクス・エンゲルス理論が日本のインテリジェンスの頭脳を席巻した時代です。サイエンスに思想が入り込む風潮を忌み嫌った私は、意識してこれを避けました。しかし不均衡進化理論を突き詰めていくうちに、物質界と生命界を統一する理論を考えるようになり、時を同じくして、畏友帯刀益夫博士から著書『遺伝子と文化選択;「サル」から「人間」への進化』(新曜社2014年)が贈られてきました。その中で、エンゲルスが自然界を動的にとらえた"統一理論"を提唱していることを知りました。あれほど嫌ったマルクス・エンゲルスをまさか今になって勉強することになるとは!しかし考えてみますと、自然科学は広い意味で唯物論の上に立っていますから、当然と言えば当然の帰結かも知れません。しかし、もし若い時に弁証法に触れていたら、不均衡進化理論に行きつけたかどうかは極めて疑問です。エンゲルスの本は入手でましたら、感想を本コラムでご報告いたします。

最後にスポーツについて述べたいと思います。私たちが中・高生の時代には、日本にはまだ質実剛健の気風が残っていて、テニスをする奴は女々しいとして軽蔑的に見ていました(多少は妬みもありますが)。ところが60歳台に入りますと、野球や空手は体力が伴わず、結局はテニスにはまり込む結果となり現在に至っています。コートでは、わたしより若い女性と楽しくプレーをしています。若い頃は"尖がっていたな"と反省している今日この頃です。

それにしましても、どうしてこうも逆、逆と物事は進むのでしょう。読者の皆様のご経験はいかがでしょうか? 私の自己分析では、原因は自身の性格にあるようです。どちらかと言いますと、人と違うことをやりたがることと関係があるようです。研究の場合、その時代時代の主流の研究には全く興味が湧きません。つまり常に「競技場外研究者」でありたいのです(第24回コラム)。しかし自然の真理は動きませんから、結局は回りまわって、避けていた主流の流れに舞い戻ってくるしかないのでしょう。問題は「競技場内研究者」から出発した場合と比べて、成果の内容が同じかどうかです。私は、明らかに違うと信じています。もちろん検証する術はありませんが。

2014年4月1日
古澤 満
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第1回  『進化と時間を考える』
第2回  『進化と時間を考える ― 続き ―』
第3回  『遺伝とDNA』
第4回  『エル・エスコリアル サマーコース』
第5回  『生物を支配する法則を探る ― 元本保証の多様性拡大 ―』
第6回  『生物を支配する法則を探る ― 保守と革新のカップリング ―』
第7回  『進化を目の前に見る事は可能か? ― @プロローグ ―』
第8回  『進化を目の前に見る事は可能か? ― A偶然の出会いときっかけ ―』
第9回  『目の位置』
第10回 『S氏の事』
第11回 『外国を知る』
第12回 『私とスポーツ ー野球・空手ー』
第13回 『私とスポーツ ースキー・ヨット・テニス―』
第14回 『大学での研究を振り返って』
第15回 『進化学と思考法』
第16回 『東電第一原子力発電所の事故と男の友情』
第17回 『体験的加齢医学』
第18回 『分子生物学の新しいパラダイム』
第19回 『往年の名テニスプレーヤー清水善造氏との出会い』
第20回 『芸術と科学』
第21回 『心に残った重大な出来事』
第22回 『自然科学と進化研究』
第23回 『ガードンさん、ジーンさんノーベル賞受賞おめでとうございます。』
第24回 『競技場内研究者』
第25回 『文系と理系』
第26回 『人生ままならぬ』
第27回 『STAP細胞仮説は科学の仮説ではない』
第28回 『人は一生で2回以上死ぬ!?』
第29回 『多様性と進化のパラドックス』
第30回 『科学者としての父を語る』
第31回 『熱帯多雨林に多種類の生物が密集している理由』
第32回 『日本語で考える』
第33回 『私の人格形成過程を振り返って』
第34回 『タスマニア・クルージングて』
第35回 『天才遺伝学者、アマール・クラー博士逝く』

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