ご存じでしょうか?『007は二度死ぬ』(イアン・フレミング 1964)ではありませんが、最近の研究によりますと、「人は一生のうち2回以上死ぬ」ことになっています。ヒトは自分の子供に約70個の突然変異(変異数/世代/細胞)を持ち込むことが知られています。突然変異には、良いもの・悪いもの・無害なものがありますが、一般的には70個のうち2.2個が有害、または致死突然変異とされています。2回以上死ぬってどういうことでしょうか?人は必ず死を迎えますが、この死を除いて、死に至る突然変異を2個以上持って生れて来るという意味です。言い換えますと、生きて生まれてくる確率は限りなく0に近いことになります。現代人の祖先がアフリカに出現してから20万年が経ち、その間約8,000世代を経ていることになりますから、ヒトはとっくにこの地上から消えているはずです。でも、われわれはここに居ます。
どこか変ですね? これは20世期末に提起された人類遺伝学上の最大の疑問の一つです。この謎を解くために、集団遺伝学の立場から熱心に討論がなされてきましたがいまだに皆が納得できる説明はありません。その議論の焦点は、集団のサイズ、自然選択圧、そして性の存在です。集団が小さいほど遺伝的浮動の効果が現れやすく進化に寄与する(アフリカ時代の人口は約10,000人と少なく見積もられています)、上手い選択圧を選べば集団から効率よく有害遺伝子が除かれる、性は集団から効率よく有害変異を除く、等の根拠によるものです。
一般に、既存の学説や仮説では説明できない新事実が現れた場合、大抵は理論の側に問題があります。私は集団遺伝学には特に疎い方ですが、このケースは従来の集団遺伝学では手に負えないしろものだと直感しました。つまり、既存の理論の上に立って、パラメーターを変えて事実をうまく説明しようとすると、間違った結論を導いてしまう危惧を感じました(“科学的仮説の危うさ”に関する第15回コラムをご参照下さい)。
進化に関する別のアプローチとして、物理化学の分野では、情報分子(RNA、DNA)の分子レベルの進化に関する理論的・実験的研究が行われています。情報分子の長さとは無関係に、複製の度に1個以上の突然変異が入ると、その分子集団は自滅するという明快な結論が出ています。これを変異の閾値と呼びます(変異の閾値=1)。両アプローチに共通しているのは、とくに調べた訳でもないのに、基本的に変異はランダムに入ると仮定している点です。この仮定の間違いを指摘したのが不均衡進化理論です(第5、6回古澤コラム)。一言で表現しますと、「DNAの連続鎖は正確な遺伝を担保し、不連続鎖は新規な遺伝情報を創成し進化に貢献する」となります。この進化理論に従えば、変異はもっぱら不連続鎖に偏って入りますので、変異の閾値は上昇し、ヒトのように世代当たり70個の変異が入っても(変異の閾値=1を70倍超していても)絶滅する気遣いはありません。詳しくは、最近書きましたレヴィユーをお読みください(Furusawa 2014. doi: 10.3389/fgene.2014.00421)
実は不均衡進化理論のミソは、変異の閾値の上昇を起こすことに加えて、親DNAの遺伝情報が連続鎖によってそのまま確実に2つの子DNAに分配されるところにあります。この“変わらない”という性質が過剰な有害突然変異の破滅的行為から生命を守っていると同時に、進化にとってはポジティブな役割を演じることになります。即ち、ゲノムのある領域に良い突然変異によって偶然に生まれた“魅力ある”隠れた遺伝子を、一旦事あるときのために無垢のまま保存しておくことができるのです。ポーカーゲームで喩えますと、10, J, Q, K, Aが揃ったとき、もう一枚カードを交換すると、ロイヤル・ストレートフラッシュは崩れて必ず点が下がります。しかし不均衡変異モデルでは、何回自分の番が回ってきてもこのカードの組み合わせを保存することができます(実際のゲームではパスするか、インチキしない限り不可能です)。生物の場合には、今は使っていない魅力ある遺伝子(ロイヤル・ストレートフラッシュ)を、将来いつでも使用できるように集団と言う名の“倉”の中にしまっておくことができます。その役目は変異の入らない連続鎖が果たします。
次々とやってくる破滅的な突然変異からヒトを守り、かてて加えて、それを進化の加速に転化できる生物特有のメカニズムがDNAの分子構造に隠されていたのです。現在主流となっている進化の統合説(ネオダーウィニズム)の弱点は、DNAの分子機構に注目しなかったことです。DNAの非対称構造と半保存的複製機を考慮することにより、今まで難しかった進化のジャンプ(断絶平衡)現象の理論的説明が可能となりました。1億5000万年前、爬虫類から鳥類が分岐したようなドラスティックな大進化のメカニズムに迫れる日もそう遠くはないでしょう。 |