STAP細胞に関する例のNatureの2編の論文をまだ読んでいません。いや、読む気が起こらないのです。理由は、疑念なしには一行たりとも読み進められないからです。ここに来て、STAP問題に関しては議論が出尽くした感があります。神戸理研の広報問題、理研のマネージメント、マスコミの対応、研究者間の議論の欠落、杜撰な実験、当事者の研究者としての資質等、話題には事欠きません。しかし、ここではこれら諸問題にはあえて触れないことにします。 今回の事件に関して、新聞記事や多くの方々のコメントが一致している点があります。日本の科学の将来が危ない。世界に対して恥ずかしいことだ。でも、私は全くそうは思っていせん。マスコミは言うに及ばず、理研内のスタッフや共同研究者、それに外部の研究者も、「STAP細胞仮説は科学的に非常に優れている」という論調になっています。本当にそうでしょうか?(ネット情報によりますと、1〜2名の研究者が私と同じ疑問をお持ちのように見受けられます)
20世紀最大の哲学者カール・ポパー(Sir Karl R. Popper)は、純粋な科学的仮説の必要条件としての反証可能性を提唱しました。つまり、良い作業仮説は、「その仮説自体を否定・反証できる方法論が別途存在する」という意味です。中でも重要なのは、これが仮説の良し悪しを決める必要条件ではなく、最低条件だという点です。実は私は、ポパーを知らずに、無意識に彼の格言を研究の場で実行していました。普通の実験生命科学者も多分私と同じだと思います。 さて、STAP細胞仮説を検証してみましょう。「体細胞に刺激を与えると幼若化する」というのがその内容です。このフレーズの反証は「刺激を与えない」ことです。言い換えますと、「何もせず観察する」ことになりこれでは反証実験になりません。つまり、ポッパーに言う反証可能性はゼロですから科学的仮説ではなく、単なる思い付きに過ぎません。もし「pH 5.5〜6.2の弱酸性液で細胞を刺激すれば・・・・」と条件が付いていたら立派な科学的仮説です。何故なら、この低いpHで影響を受ける特定のたんぱく質がキーになって幼若化が惹起されるという含意が汲み取れますし、これ以外のpHの条件で否定実験が可能となるからです。 断っておきますが、STAP細胞仮説が悪いと言っているのではありません。科学ではなく、工学だと言っているのです。極端に表現すれば、工学は結果オーライで、いい製品ができれば発想や途中経過は大して問題にしなくてよいのです。私自身、大学時代のメイン研究の一つが細胞融合を用いたマイクロインジェクション法の開発であり、細胞工学分野の仕事でしたから、科学と工学の区別はよく自覚しています。ところで、不均衡進化理論は科学ですか?と言う質問が出そうなので答えておきます。立派な科学です。本進化理論の仮説は「連続鎖/不連続鎖間の変異率の差が進化の駆動力を生む」です。反証は「両鎖に平均して過度の変異を入れると死滅することが予測できる」です。現に、このような遺伝子操作を施すと直ぐに死滅します。 本題に戻りましょう。STAP事件で日本の科学のレベルが低下し、日本の科学の将来が危ぶまれるのでしょうか? 上に述べましたように、STAP細胞仮説は科学ではありませんから、今回の騒動で我が国の科学のレベルは微動だにしません。それが証拠に、ここのところ科学分野で日本人が連続してノーベル賞を受賞していますし、私のごく親しい研究者の中にも、非常に優れた業績を出されている方が沢山おられます。
この事件を切っ掛けに、我々国民全体が科学に対する理解と見識をもっと深める必要があると思います。政治家やマスコミ、特に科学解説者の責任は重大です。これこそが民度を高めるための核心的ポイントだと信じています。勿論、研究者自身の問題でもあります。
本論とは少し離れますが、国家予算の配分に関して私見を述べておきます。わが国の科学技術研究費は“選択と集中”の傾向が増々強くなってきています。この方法は営利企業ではしばしば用いられますが、国家の長期的な科学技術振興にとっては真逆の方向に進んでいます。大発見があった分野に予算を集中するのは反対意見が出難く一見正しく見えます。しかし歴史的に観て、次なる大発見は過去に研究費に恵まれていなかった分野から出てくるものです。無駄金こそ大切なのです。10年、50年後の大発見を誰が予測できるのでしょう? 基礎科学技術研究費の配分は、ピラミッド型ではなく台形型配分をお薦めします。 |