コラムの冒頭に書かれていますように、私は子供の頃から進化を目の前で見ることが夢でした。今回は65年ほど昔に返って子供の頃の話から始めたいと思います。
【進化への憧れ】
小学の2,3年生の頃に読んだ一冊の絵本が進化に興味を持つ切掛けとなりました。アメーバーに始まってヒトに終わるいろいろな種類の動物が右上がりに一列に並べてある進化を説明した絵でした。「うわー、アメーバーから人間が出来るんだ!」「チンパンジーが人間になるんだ!」勿論、この絵が系統発生学的に正しくないことや、私の理解が間違っていることを当時は気付く由もありませんでしたが、とても強い印象を受けたことは確かです。今から思えば、この頃から進化を目の前で見たいと思っていたのでしょう。
やがて、中学と高校でダーウィンの進化論を教わることになるのですが、無作為に入る突然変異と自然淘汰だけでアメーバー様の単細胞生物がヒトに進化するとはとても信じられませんでした(現在では、自然淘汰の他に雌雄淘汰と遺伝的浮動も進化の要因として考えられていますが、状況は同じです)。何故かと言いますと、何十億年という時間が進化のすべてを解決するという“暗黙の了解”のようなものが、教科書の行間にも先生の授業の裏にも流れているように思えてなりませんでした。要するに、ダーウィン進化の説明の内、ここのところ(時間に責任を預けているところ)が全く腑に落ちなかったのです。「よし、大学に行って進化を研究するぞ」と決めたのはいいのですが、海への強い憧れや、無類の野球好きが災いして、大学入試を失敗する始末でした。
【進化は専門外】
実際に研究を始めたのは大学院生の時で、25歳になっていました。大阪市立大学理学部(25年間)と第一製薬の研究所、合わせて計30年間は発生学(性の分化、がん細胞の分化等)、細胞工学(マイクロインジェクション法の開発)、それに分子生物学の応用研究(カイコ幼虫を用いたインターフェロンの生産等)をしていました。つまり裏を返せば、私は元々は進化に関しては全くの素人であることを意味します。しかしその間、科学雑誌サイエンティフィック・アメリカンや単行本等から進化研究の情報を仕入れる努力は続けていました。でも、こうして入ってくる知識や方法論のどれをとっても、革靴の上から足の甲を掻くような、はがゆさを覚えてなりませんでした。
例えば、唯一の進化の証拠である化石は殆どが動物の骨や生物の硬い部分だけですから、ここから実際に起こった進化の過程を知るには、推測する以外に方法はありません。また、現存生物の比較研究(DNA解析も含む)からも過去の進化の道筋を予測することはできますが、進化の機構解明には自ずと限界があります。そして、集団遺伝学は美しい学問ですが、数理的にあまりにも単純化し過ぎていて、進化の全容を明らかにできるとは思えません。断っておきますが、これらの方法論や研究成果を決して過小評価している訳ではありません。それどころか、私にとって、進化研究のスタンスを決める上で強い支えになっています。しかしながら、一寸妙な表現ですが、“進化の女神”がいつも背景にいて、「進化の原理はもっと違うところにあるのよ」と微笑みかけているように感じてなりませんでした。
【科学と直感】
さて、科学するということは、観察や知識の上に立って仮説を立て、それを実証していくことであると一般には信じられています。しかし、K.
ポッパーやバートランド・ラッセル卿が指摘しているように、先ず、ヒトの脳を通して認識される観察そのものの信憑性を疑ってかからねばなりません。特に実験科学では、実証するための実験は得てして仮説に都合のよいものを計画し、よい結果が出るまで実験を繰り返し、ついには都合が悪いデーターは無視するという悪いスパイラルに陥りかねません。一方、「科学の最終目標は対象を統一的に理解する原理を見出すことにある」†
としますと、芸術と同じで、ロジック(論理)よりもむしろ直感が有効な場面があるでしょう。私は、「直感とは、一見無関係に見える別々の事象の間に共通点を発見する能力」だと解釈しています。喩えて言いますと、落語の三題話のようなものです(3人のお客から別々に頂いた3つの品物を題材にして、落ちの付いた一つの小噺にまとめる落語家のお遊び)。現在の進化の研究は正に直感が必要とされる状況に来ていると思います。
【進化の仕掛けは簡単?】
私は物事を複雑に考えるのが特に苦手な性格です。別の言い方をすれば、自然の原理は単純で美しいものと信じています。従って、進化のように聖地に構える難攻不落の城のような対象でも、もし原理のようなものが見つかれば、簡単な操作で進化を加速することが出来、進化研究の方法論におけるパラダイムシフトが可能になると信じていました。それには私なりの思い入れがありました。@生物には自ら能動的に進化する仕組みがあるに違いない。A今ある多様な生物が、たった一種類の祖先から分岐したのであれば、進化を進める仕組みは生物界に共通のものであってほしい。B進化を進める仕組みは機械的で、それもきわめて簡単なものであるに違いない。何故なら、ゲノムサイズの小さい生物に複雑な仕組みを求めることは無理がある。また、仕組みが複雑で繊細なものであればある程変異が入った時故障しやすいので、進化という生物にとって本質的な営みをそんな危なっかしい装置に委ねる訳がない。
上に挙げた3つ項目から、「生物には進化の速さを調節できる普遍的な“スイッチ”のような物があるに違いない」という奇妙な結語が引き出されます。この時点で、進化加速の机上実験のコンセプトを述べますと、生物の持つ自然の営みを可能な限り壊さずに、生物界共通の“スイッチ”を切り替えることにより進化を加速する、という表現になります。勿論、ここで言う“スイッチ”とは比喩的な意味合いであると同時に、突然変異を入れるために、従来のように変異原物質や放射線等を使用しないことを言外に示しています。
ここまで読まれて、大の大人の、それも研究者を標榜する人物が、よくもまあ他愛もないことを真面目に考えていたものだ、と呆れられた読者は多いと思います。実際、小学生の頃思っていた進化のイメージと本質的に何も変わっていないのですから。
その後、文献等を読んでいる内に、S. スピーゲルマンやM. アイゲンら(1960-70年代)‡
による試験管内RNA進化やその理論に関する論文を知りました。スピーゲルマンらはQβという大腸菌に寄生するウイルス(ファージ)のゲノムRNAをそのまま使い、同じファージのRNA合成酵素と組み合わせて試験管内で複製させ、目の前でファージのゲノムRNAの進化を起こさせたのです。例えば、複製の早いRNAだけを選別していきますと、どの試験管も短いRNAに収斂します。これは自然界でQβに感染した大腸菌内に出現するミニバァリアントと呼ばれるRNA種に塩基配列が酷似しています。私は一瞬ギョッとしました。これは私が考えていた実験そのものではないのか? ゲノムも酵素も自然のままのものを使っていたのです。この限りでは人工的なものは一切使用していません。(上述のアンダーラインの文章をご参照下さい。)しかし、落ち着いて考えてみますと、宿主である大腸菌を使っていないこと、進化させたのはファージそのものではなくRNAであること等で、人工的な系と言えます。しかし、宿主抜きの系ですので、複製速度は速まり、正に進化は加速されています! 更に驚いた事に、RNA複製を阻害する毒物が存在すると、かえって複製が上手くいくRNA分子を創り出すことにも成功したのです。これが、分子生物学の黎明期、今から30~40年も前に行われた実験であるのは驚くべき事です。これらの研究は実験進化学の扉を開いたという意味で画期的な出来事でした。
【焦燥と失意】
幸い、企業に勤めながら、1987年から5年間のERATO(現科学技術振興機構)の「古澤発生遺伝子プロジェクト」を始めることが出来ました。ついにチャンス到来とばかり、一研究者として進化の研究を始めようと意気込んだのですが、急に素晴らしいアイデアが浮かぶ訳でもなく、最初の1年間は悶々とした日を過ごすばかりでした。生物学に進んだのは間違いではなかったか。今までの自分は一体何だったのだろう。教員時代はただ有名な雑誌に論文を載せることだけが目的ではなかったのか? もしそうなら、若い学生を随分スポイルしたのではなかろうか? やはり、第2志望の漁師か船員になっていた方がよかったのではないか? 友人や同僚と会えば、誰からともなく病気の話か定年後の話が出る始末で、気が滅入るばかりです。進化の話で頭の中はいっぱいなのですが、思考は空回りするだけでした。少年の頃の夢叶わず、終に学者生命が終わるのか。一体、何時になったら“女神”に会えるのでしょう? この悩みは56歳の誕生日が過ぎても続きました。
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