古澤 満コラム私は子供のころからラマルクの“獲得形質の遺伝”に興味を持ち、進化を目の前で見ることが夢であった 古澤 満 古澤 満
 

 生命科学の専門家や哲学者でなくても、「自分はどこから来て、どこへ行くのか?」という疑問は誰でも持つものです。つまり、進化は人類にとって本質的なテーマなのです。私はこの小文で、進化に関する“常識”や“真理”を再検証し、それが新しい進化理論の誕生にどのように結びついたかをお話したいと思います。

【常識 1 :進化には悠久の時間が必要である?】
 一般に、「進化は気が遠くなる程の時間がかかる」と信じられています。確かに、アメーバー様の生物からヒトが生まれるのに約38億年の年月を要したのは、化石の研究から明らかです。しかしこの事実は、「アメーバー様生物がヒトに匹敵する知的高等生物に進化するには、38億年の年月を必要とする」という事を意味しません。逆の例ですが、38億年よりずっと以前に誕生したはずの細菌が、今でも同じ様な姿で存在していると言う事実は、何億年経っても変わらないものは変わらない事を示しています。
 このように、昔から真理だと思われている事も、一度は疑ってみる事によって、新しいコンセプト(概念)が生まれる可能性が出てきます。私のこの疑問から生まれた新コンセプトとは、「進化は速めたり、ブレーキをかけたりすることができる」です。

【常識 2 :突然変異はランダムに起こる?】
 生物のゲノムにおこる突然変異は進化の主原因ですが、その変異自体はランダムに起こると信じられてきました。変異のランダム性は、確たる証拠もないのにどうしてそう信じられてきたのでしょう?われわれが投稿した論文の査読者(レフェリー)とのやり取りで分かったのですが、どうも古典熱力学の考え方が進化の研究にも強く影響しているのが原因のようでした。熱力学では外部から与えられた熱(摂動)は系の分子に平等に配分されるとして計算しています。突然変異を生物世界における摂動と捉えると、「変異は均等に起こる」とする考えが出てくるのは当然な訳です。変異が均等に入るとすると、あまり変異が入りすぎるとその生物集団(種)は死滅してしまうことになります(変異の閾値は大まかに、1塩基置換/ゲノム/複製という極めて低い値だとされています)。ヒトゲノムの長さと変異率から計算しますと、変異の閾値を充分下回るという見積もりがあり(すなわちヒトという種の死滅は否定され)、進化はゆっくりと進むという考えを強くサポートしている結果となっています。しかしよく考えて見ますと、平均変異率さえも正確に算出されたことがないのです。結局のところ、熱力学を進化遺伝学に適用する事の必然性は全く見当たりません。即ち、“変異の閾値”の存在は幻となる可能性があります。
 詳しい説明は省略して結論だけを言います。もし変異が偏って入るものと仮定しますと、変異の閾値を越えた非常に高い変異率の下でも、集団の死滅を回避して進化を早めることができると言う数学的証明がなされています(Furusawa and Doi, 1992; Aoki and Furusawa, 2001)。生きた化石といわれる生物や上述の細菌の例のように、進化を殆ど止めようとする場合には変異率を極端に下げればいいのです。進化とはいつも一定のスピードで進むものではなく、自動車のようにアクセルとブレーキを操作して、ある時は加速し、またある時は減速して進むものなのです(化石の比較研究からも同じような結論が導かれています:「断続平衡説」)。言い換えますと、進化とはダーウィンの言うような線形な現象ではなく非線形なもので、生物は積極的に進化を駆動・調節する機構を持っている事になります。偏った変異を創出するいかなる分子機構も進化駆動装置の候補となり得ます。

 われわれの考え方−「不均衡進化説」−は、進化の駆動力は自然選択圧であり生物は進化に関しては受身なものと捉えているダーウィンの説や、所謂進化の総合説とは全く異なるコンセプトであることがお分かりいただけたと思います。もし、以上に述べた文脈が正しいとしますと、生物個体に変異を偏って入れる方法を開発すれば、進化の加速を実現できる可能性があることを示しています。

 今回は進化加速の理論を説明いたしました。機会があれば、弊社のもう一つのミッションである、実際の生物を使って進化を加速する試みについてお話したいと思います。

2005 年 12 月 10 日
古澤 満
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